2015年7月5日日曜日

「月刊群雛2015年07月号」レビュー


 おつかれさまです。群雛レビュー、のはずが……。

概観

ごめん、今回正直、不遜にも厳しく書いちゃった。だって、みんな、マジでどんどんうまくなってくるんだもん。みんな、毎回だけど、今回さらにすごい努力が感じられる。それに当たり障りなく毒にも薬にもならないこと書くのは、むしろ失礼になるな、と思った。

 前からみんなをリスペクトしてたけど、さらにみんなを改めて尊敬したのね。

 だから、私も全力で書く。もうレビューじゃないと思われてもいい。でも、すこしでも参考になってくれればとても嬉しいと思って書く。

 私自身、97年11月にデビューして18年、デビューはしたものの鳴かず飛ばずの小説書き人生、もうこれから脚光を浴びることはないでしょう。

 だからこそ、私の小説の18年のすべてを、みんなにあげます。

 余計なお世話だ、と不愉快だったら、容赦なくぽいっと捨ててもいい。ボロクソに言ってもいい。

 でも、みんなの努力と工夫と熱意に応えるには、私はもうこれしか方法がない。ほんとうにすまない……。



各作品レビュー

ロマンサーで推敲、のススメ 鎌田純子

話が独立作家連盟のイベントでの話を踏まえていて、いいサイクルがまた始まったな、と思う。そういうところでも感慨深い。「群雛」の意義があるよね。

 だが、今ウチでやってるGoogleドライブ(アドイン追加済み)で原稿書き・BCCKSでEPUB化、Kinoppyでチェックの環境と比較すると、Word・ロマンサーの組み合わせにどれだけアドバンテージがあるだろうか、と考えてしまった。

 ちょっと前だったらそれでよかったんだろうけど、私のやってるGoogleドライブならiPhoneでも誤字拾いができる。でもWordのiPhoneアプリとか、OneDriveアプリはあまりにも重すぎる気がする。そこでロマンサーのボイジャー社の苦しんできたこの電子書籍も含めての残酷な技術進歩の歴史がまだ続いているなあと思ったり。うちも苦しんできました。じつは。あまりにもいろんな技術がなくて、自前サーバ立ててカートシステム組んで画像とテキストファイル手売りして、しかもヘマとか色々やった時期もあったもん。今じゃうちのははるか昔の笑い話だけどね。

 SNSの活用とかも普通に言われてて、ふつうにみんななかなか出来なくて苦しんでるけどそこに踏み込みをどうしていくか。みんな苦労してるところだよね。

 校正作業なら利益分配率決められるBCCKSとか、共同校正作業できるGoogleドキュメントにアドバンテージあるような感じだけど。

 とにかく実効利益率の薄い電子本の場合、少しでも作業効率を上げ作業時間を確保するためにはクラウド環境、しかもモバイル環境での作業でかなり出来ないと厳しいと思う。作業中にEPUB化して横書きから縦書に原稿を変換することはたしかに一人で校正するぶんには有利というのはすごく同意。意義がある話だと思う。

 ツールも競い合ってくれれば、書き手のユーザーとしてはありがたいし、読者も必ず幸せになる。ぜひBCCKSのライバルとして頑張ってほしいなーと思った。

(ちなみに一太郎のEPUB作成機能はすっかり見切りつけちゃった私だったり。今どきスタンドアローン環境のパッケージソフトじゃないなと思ったり)



ギソウクラブ 晴海まどか(小説)/合川幸希(イラスト)


 すごくいい。

 んだけどねえ。

 今回、連載の最後を飾る大仕掛のはずなんだけど、大仕掛けすぎて、ええっ? と驚く以上になっちゃった。

 最後に向けての疾走感はさすが秀逸だけど、大仕掛の理解がやや難しい気がした。いや、いいどんでんがえしなんだけどね、え、もしかするとこれ、返ってないんじゃない? って、読む側が驚く以上になる。それぐらい大きなどんでん返しなの。

 これが連載でのどんでん返しの難しさだろうねえ。
 連載の中で、読者はかならず忘れたり不正確な理解でまた作品を読む事になる。となると不正確な理解を正しい理解に一度うまく最小語数で軌道修正してからでないと、大仕掛は作品世界を破壊しかねない。
 連載で、あとで全部またバックナンバーひっくり返して読み返すことを強いないで、毎回どうやっても覚えてしまうような印象強く読者に与えておいて、最小語数でそれを再燃させてさらに完全燃焼に持っていけるのがいい書き手なので、そこはもう少し工夫が必要だったかも、と思った。
 この人にはそれができると思う。私もいまそういうところできてなくて研究中なんだけど、連載小説はただの長編の分割掲載ではないんだよね。逆もそうで、連載小説をただつなげても長編小説にはできない。世間の連載の長編単行本化の時は必ず加筆修正しました、って書いてあることが多いのはそこだと思う。私も最近そこに気づいたんだけども。

 といいながら、圧倒的にすごく楽しく読めるからすごくいい。最後の疾走感もすごく出てるし、丁寧に書かれている。だからこそ、連載の、とくにこういう連載レギュレーションでの戦い方の研究が必要だなと思ったけど……ごめん、ほんと、レビューに余裕がなくなった。それはこの作品がそれだけいい作品だからなんだと思う。

 物語、特に小説で大事なのは速度制御と高低差なんだけど、そこでしっかり速度制御できてるし。速いところはすごく疾走感でてるし、止まってるところは止まってるし。全体としてはやはりさすがの仕上がり。評価は下がることはないと思う。

 ほんと、いずれ、この人が真の高みに達して、私がレビューを書く資格なくなる時期がもうすぐ来そうな予感がしてます。特に今回はすでにキャッキャウフフなんて冗談めかして私がもう言うことの出来ない、しっかりとした世界が確立してると思う。

 そして迎える次回が最終回。ほんと、キャッキャウフフが小説としてもう堂々たるものになった感じ。最終回が実に楽しみ。



幸福すぎる90分間 和良拓馬


 安定して上手い。実話にゃ勝てないよなあ、と思うけど、その実話を探してくるのがすごく難しいんだよねえ。ほんと、実際にマイナーチームの応援に行くのは楽しそうだなと思えてくる。すごく魅力的。完成度も高いし、ほんと、申し分なし。私の趣味と合いすぎてるのかなあ。でもジャンル的なものを割り引いても、上手い。それにスポーツのこういう話に魅力感じない人はそもそも読まないだろうし。そういうパンを求めてない人にパンを押し付けちゃいけない。でも、パンを食べたい人はどっさりいるんだよね。

 話としてのうまさは、物理で言う「仕事量」みたいなもんで、常に面白いもんはどこで苦労してるかの配分が違うだけで、結果的には全体の仕事量は同じ面白いものは同じなんだと思う。空想のものを書くにはそれだけの苦労が必要だし、実話を探すのもそれだけの苦労が必要。らくして面白いものがかけることはない、と思った。すごく苦労したなと思うし、それをしっかり書き込めるので全体の仕事量も大きくてすごくいい。

 ちなみに、私的には、読み物に順位をつけるのはあまり好きじゃない。一定の技術を超えると、あとは単なる個人的な好みの段階になるから。自分が好きじゃなくても他の誰かがすごく好きで楽しく読む、ってレベルがあるから。常に「比較」は人を不幸にする。物事は比較よりも掘り下げることが大事なんだと思う。

 月刊群雛という雑誌の構成から考えると、この人の作品は、雑誌というものがチーム戦だとしたら、他の人の作品がどんどん点を取りに行ったりボール取りに行ったりできるように支える、盤石のゴールキーパーになってくれてると思う。それぐらい安定して素晴らしい。

 こういうゴールキーパーやディフェンダーになってくれる人が何人も出てきてるから、「群雛」は買って損なしにどんどんなってるし、そこでこそ腕試ししてうまくなっていく人も冒険ができる。何よりも短編を発表できる場はすごく少ないのです。特に中間小説の短編を発表できる場はかつて全くなかった。

 でも、それが「群雛」ができて存在するんだから、それを守る意義はある。

 この作品はジャンルとしては実話系のスポーツもの、たとえばテレビ番組で言うなら「GetSport」みたいないい面白さがある。すごく爽やかな読後感。素敵。

 だからこそ、この腕で、群雛のみんなを今しばらくは守ってほしいと思った。

 この人ももうちょっとで飛び立って行きそうな気がしちゃうけど。飛び立っていっても、たまにまた戻ってきてね、と。

(ちなみに晴海さんはワタシ的にはもう群雛を飛び立っていったのだけど、まだみんなを心配して来てくれてるみたいなイメージだったりする)



ポースター くにさきたすく


 上手い。でもこれ、何かで見たような気がするのはなぜだろう。巧すぎるせいだろうか。安定感も詰めもしっかりしてるけど、でも、どこか、何かで見たような気がする。すごく私の個人的感想で、ほんと、すまないのだけど。なんだろう? まあ、なにかであったとしても、それを文章にすることは別のことなので、全く問題ないんだけど。いや、つまんないこと思いだしてマジですみません。

(追記:私の錯覚だったみたい。心より済まないです。あまりに鮮やかにポースターのシーンが脳裏に浮かんでしまって……。すまぬ)

 でも、広告というものの本質を遺憾なくネタにしているのはすごく上手い。CM作ってる人とかはすごく喜ぶと思う。公共広告機構なんかも喜ぶだろうなあ。広告はすごく大事。買わなくても楽しませてくれるし、それが文化の基本だもんね。アールヌーヴォーにしろアールデコにしろ、かつての広告ポスターはミュシャの作品を始め秀逸で今まで残ってるし。ないとすごく悲しいものだもの。


ライトセーバー 王木亡一朗

ストーリー的にすごくSFとしてこってる。しかも、テーマ、モチーフもすごくいい。現実と虚構の入り混じる感覚は紛れも無く今風のSFですごくカッコイイ。しかも、仮想世界・現実のネット、そして現実とレイヤーが重なりあって、それが関係しあっていって、最後人間の普遍的なところに行き着くのもイイ。すごく素敵。短い割に壮大さがあると思う。

 最近のアニメとかあんま見ないけど、でも見ないながら世界観的なのをつかもうと作業中流したりしてるのでなんとなく分かる。このセンは、ほんと、ありだと思う。すごくいいので、ほんと、今後が楽しみ。
 地の文の使い分けがはっきりすればあればさらに読みやすくてもっと楽しめると思う。最後の最後の詰めの段階の話なのだけど。素敵でした。



オルガニゼイション 波野發作

アメリカンなパルプフィクションのなかでも、すごくおしゃれにかけてる風のSF。「15商人漂流記」とあるけど、すごく面白いアイディアで秀逸。ほんと、すばらしい。すごくよく研究されてると思う。

 でも、キャラ名が頭にちょっと入りにくい……思い入れがあるキャラ名なんだと思う。海外翻訳小説風味が出てるのでそれはすごくいいのだけど、そこをさらに踏み込んで、一旦出して、そこで略した愛称に言い換えてしまうのも手かな。アイディアの鮮やかさと秀逸さがさらにぐっと際立つと思う。ごめんね、私は頭のいい読み手じゃないね。すまない(謝)。

 とはいえ、面白い。一瞬マンガ「カイジ」のエスポワール号の中の話も連想してしまった私である(恥)。



Professor 青海玻洞瑠鯉

おおー。これまでとはかなり作風が違うような。

 すごく優しい感じがする。モチーフの大学がすごくいいところだったんだろうなー、と私は感じた。

 だからこその不安も。なんか、ようやく作者さんが分厚い鎧のうえの外部装甲とリアクティブアーマーと近接防御火器の弾幕と5インチ砲の弾幕をゆるめてくれたような(ヒドイ表現)。
 すごく気持ちが伝わってくるのがいいよね。

 でもこれはアンフェアなことに、ハングアウトでお会いしちゃったからなのかな。でもそれを差し引いても、これまでの力入れまくって血圧上がりまくった感じとは違うのがまたいい。たしかに素直でいい。

 大学には私は行ってないけど、学食食べに忍び込んでウロウロしてたし、一部講義にも潜り込んでたので、いいなあ、と思わされる。その点で狙いはバッチリやられたのかも。作風の幅の広さを感じたような。

(追記:そういや1周年でしたね。ちょっと卒論のためにこれからすこし寄稿お休みとのこと。卒論頑張ってください!)


うさぎ きうり


 おおー。短いながら、ミステリになってて、なおかつ行間から東北の雪の季節、そしてホワイトクリスマスなんて甘いもんでない雪国クリスマスの雰囲気が伝わってくる。そのなかで内容的にはふっと横溝正史的なのも入りそうだけど、そこをこらえて、少しスイートな感じに。物語としてうまい。

 よくできてるんで、欲を言ってしまうと、若干ストラクチャーが見えにくい気がした。登場人物が実は文字数に比べて1人多いかなとか。教則本ではキャラクターを出すにはしっかり設定して、ってあるけど、大体書いてないことだけど、そのキャラ設定することはしても、それをそのまま出すのは損だったりする。具体的に言うと、本当に書きたい人だけにして、ぐっとこらえて他のキャラクターで代名詞を使うだけで名前を出さないほうがいいことがある。

 原稿用紙100枚あたり1人ってのが私が先輩作家から聞いた経験則の目安なんだけど、ほんと、それぐらいでないと読み手に負荷がかかるし、キャラの掘りが難しくなる。

 じゃあこの短さだと1人も出せないじゃないかと思うかもだけど、この長さだと、しっかり掘り下げて書けるのは1人だけ。それに呼応したキャラクタが1人で、あとは名前省略、代名詞で抑えるというのもテクニックだったり。
 もちろん作者としては作品世界を愛してるわけだからみんな名前で読んであげたいし活躍させてあげたい。私もそういう立場だからわかる。でも、場所の狭さに応じた活躍をさせるしかないのも事実。朝のラッシュ時の埼京線の車内で徒手格闘のエキスパートが思う存分徒手格闘で暴れるってのはムリなんです。朝の埼京線の中では、徒手格闘のエキスパートには、息を殺してつり革につかまりつつ、暴れるのではなく潜むしかないんです。そういう戦いだってある。

 書いてあるから読んで、ってのは文学じゃない。書いてないけど伝わっちゃう、ってのっが文学のすごいところなのね。読ませるより伝えることが本質。だから、すべてのキャラクターの名前と設定を本文に入れるってのはすごくいろいろと不利だったりする。

 アイディアも描写のポテンシャルもあるのは感じられるので、こういうところにちょっと気をつけて再挑戦してほしい。さらにすごく良くなると思う。できるはず。出来ようがない人、期待できない人に私はこういうことは絶対に言わない。ほんと、これも最後の最後の詰めの段階の話なのです。

 十分今回も楽しかったけど、さらに楽しみにしてます。



Timber! 澤俊之

これもアメリカを舞台に、翻訳されたアメリカ文学ののように、すごくおしゃれに書かれた作品。中間小説より文学本流よりに向いてるんじゃないかな。

 文学としてのモチーフも、文章力もあると思う。だから、欲を言うと、さらに描写することにこだわるとさらにグレードアップすると思う。読者に負荷をかけず、読者にモチーフを描写で感じさせるのが文芸だし、それができているので、さらにこだわることに期待。



表紙イラスト もりそば


 おおー、たしかに新海誠だ! テツとしては嬉しい表紙。

 夏空! 緑! 線路! 踏切! 学生! 完璧! 完璧すぎる! いいよね。架線柱が地方私鉄っぽくていいし。この町並みの込み入り方は王道の江ノ電ですか!みたいな(興奮しすぎ)。

 すごく夏らしくてさわやかないい表紙。秀逸です。




総括


 毎回だけど、また今回特にレベルがガンッ!と上った。いや、ほんと。独立作家たちは独立してるだけで、ちゃんと作家なんだ!と改めて思う。だから今回、私もぜんぜん余裕なくてバッサリ行ってしまったのね。でも、みんなすごい伸び率だもん。だから、期待がどうしても上がっちゃうのね。自己満足は大事だけど、でも自己満足を超えたところに近づけたら、満足は更に大きいの。うまくなるってそういうこと。ほんと、「うまくなりたいーっ!」って。私もそうだから。(私も『響け!ユーフォニアム』に影響されてる)

 でも、せっかくみんな、私がかつて見てきた、いろんなプロ志望の小説教室に通ってきたアマチュアレベルよりずっとはるかにいいもの持ってるんだもん。そして、みんなそれを工夫して伸ばしてる。

 そこでほんと、私にはもう、当たり障りなく配慮してレビューするなんて余裕は少しも無い。しかもここまでバッサリ書いちゃった以上、私も自分の作品ガンバラナクテワだよね。

 がんばります。そして、非力ですまん……。私もがんばります。



余談

ちなみに、これ書いてるのは品川の宿です(東横インのポイントが貯まってたので)。

 実は今日(2015年7月4日)、「群雛」に作品書いてる竹島八百富さんと新橋でお会いして飲食して、お話したのです。ええ、リアル『Xメン』(竹島さんの作品。月刊群雛2015年04月号掲載)です(笑)。ほんと、こうして皆さんにお会いしたり、お話できるのは、ほんとうに嬉しいです。作家やっててよかったと思う。頻繁にウツになるけど、でも基本、私はそれでも毎回助かってる幸運があるので、少しでもほんと、私のそれを分けられたらなと思う。

 「群雛」でこうして、みんなでいろんな楽しい物描いたり書いたりして、それで他のみんなを引っ張ってうまくなったり楽しくなったりできたら、それがなにより一番素敵だと思う。もちろん途中には苦しいこともあるし、迷う時もあるだろうけど、そういうときは一度離れることもいいと思う。でも、離れても仲間であったことは変わらない。だから、また時々戻ってくれれば嬉しいし、戻ってこなくても、そこまで素敵な雑誌を共に作れて、本当にありがとう、と思う。




 その前々日に私、慣れないRaspberryPiのプログラミングとかやってて本当に余裕ないのに、すごくうれしくて無理にこれ書いたら、あまりにも私が下手くそだったのか、いつもチェックに使ってるタロットで「死神」が出た……。まあ、出てよかったと思う。タロットに限らず占いってのは、あたりまえの注意をあたりまえのマンネリにならないように乱数化して見せるというのもあるから、タロットを信じるわけじゃないけど、私の無理が出すぎなくてよかった……。ほんと、ひどく無理してたもんね。

 それでも書こうとするほど、楽しい今号でした。来月号も期待。

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